ニッポン長寿食紀行
vol.4
「紀州南高梅(きしゅうなんこううめ)」
桃のように大きな梅の実がたわわに実る”梅”源郷
南紀白浜から続く海岸沿いにある小さな町。ここ和歌山県みなべ町は、日本一の梅の産地です。「ほら周りを見てごらん、梅畑ばっかりでしょ。ちょっとでも空き地があるとみんな梅を植えてしまうんだわ」と教えてくれたのは、みなべ町役場うめ課の長瀬一也さん。辺りを見渡すと、ブルーのネットが顔をのぞかせた梅畑が、遠くの山にまで広がっています。「みなべで栽培している梅はほとんどが最高級の南高梅です。実が大きくて皮が薄く、果肉が柔らかいので梅干しには最適です。南高梅は黄色く色づくまで完熟させるので、5月下旬になると梅農家は、完熟した実が落ちてもいいように地面にネットを敷き、梅の実が熟すのを今か今かと待っています。本格的な収穫を迎えるのは6月中旬から。完熟して落ちた梅の実を拾い集めていきます」
梅農家の仕事は完熟梅を収穫した後も続きます。「収穫した完熟梅は、水洗いしたら1カ月ほど塩漬けし、漬け上がった梅を天日で数日間干す。こうしてできた梅干しをこの辺りでは『白干梅』と呼んでいます。ここまでが梅農家の仕事。白干梅は無添加で塩しか使ってない昔ながらの梅干しだから酸っぱいですよ(笑)。加工業者はこの白干梅を塩抜きして、減塩の梅干しにしたり、ハチミツ漬けにしたりして全国に出荷しています」
農家の皆さんが真心込めて漬けた白干梅。早速食してみたところ、確かに酸っぱくてしょっぱい! けれど、梅干しとは本来こういう味だったな、と懐かしく思える何とも素朴な味がしました。みなべの食卓には、この白干梅があるのが当たり前なのだとか。毎日のお弁当はもちろん、小中学校の給食にまで登場するというからビックリです。生産量だけではなく梅を愛する情熱も日本一! だからこそ、みなべの南高梅は日本中で愛されているのかもしれません。
みなべ町で梅の栽培が始まったのはおよそ400年前の江戸時代のこと。紀伊山脈に連なる山間部にあるこの地域は、平地が少ない上に土壌は水はけが良く、米作りには向いていません。年貢を納められず苦しんでいた農民を救うため、この地を治めていた田辺藩の殿様が目をつけたのが、梅でした。
米作りには不向きな水はけの良さも梅にとっては最高の条件。しかも、紀伊水道に流れ込む黒潮の影響で一年を通じて温暖で、日照時間も長い。たちまち「みなべの梅」は名産品となりました。そしてこの栽培方法は、独自の農業スタイルも生みだしました。「里山全てを梅林にするのではなく、ウバメガシなどの木を残していました。その木々が水をため、水が梅林や麓の田畑を潤します。そして、森林に住むミツバチは梅の受粉を手伝い、ウバメガシ自体も紀州備長炭の材料として人々の暮らしを支えました。先人達の知恵が脈々と受け継がれてきたことで、生態系を守りながら梅作りを続けてきたのです。2015年にはこの仕組みが評価され、『みなべ・田辺の梅システム』として世界農業遺産に認定されました」と、うめ課の中早良太さんは、誇らしげに語ります。
昔から「1日1粒で医者いらず」といわれてきた梅干し。酸っぱさのもとであるクエン酸が血液をサラサラにし、疲労回復に役立つのでこれからの季節にピッタリ。最近の研究では、胃がんや胃かいようの原因となるヘリコバクター・ピロリ菌の活動を抑える成分があることも証明されています。万葉集の梅花の歌の序文を典拠とする令和の時代。梅干しが健康食として、さらに注目を集めそうです。
1.木から収穫したり、完熟してネットに落ちた梅の実を収穫します。2.収穫した梅の実は水洗いした後、キズをチェックし、機械でサイズを選別します。3.梅の重量の20%の塩でおよそ1カ月間塩漬け。20%の濃度にすることで長期保存が可能に。4.漬け上がった梅の実をさらに天日で3~4日干すと、白干梅(梅干し)のできあがり!