ニッポン長寿食紀行
vol.3 「煎酒(いりざけ)」
江戸っ子が愛した幻の万能調味料
「女房を 質に入れても 初鰹」とは、初物を珍重した江戸っ子を詠んだ川柳です。これをモラハラ(※モラルハラスメントの略。 言葉や態度で嫌がらせをすること。)と捉えるか、初ガツオと同じくらい女房の価値が高かったと捉えるかはさておき、江戸っ子の食へのこだわりがうかがえます。
そんな江戸の庶民が食したのはもちろん和食。ですが、私たちが食べているものとは一味違います。というのも、しょうゆが広く普及するのは江戸時代後期。それまで調味料として使われていたのは「煎酒」だったのです。
日本最古の料理書『料理物語』(1643年発行)に、その作り方が載っています。「鰹(削節)一升に梅干十五(か)二十入れ、古酒二升、水ちと、たまり入れ、一升に煎じ漉し、冷やしてよし」。日本酒にかつお節と梅干しを入れ、煮詰めたもの……。こんなのおいしいに決まっています! ところがどこの家にもあった煎酒は、江戸後期に濃口しょうゆが大量生産されると姿を消してしまいました。無いと知ったら余計に味わってみたくなるのが心情。探してみると、都内で煎酒を扱っているお店を発見しました。
訪れたのは日本の伝統食・江戸の食を商う〈銀座三河屋〉。創業300年の歴史を持つ老舗店です。きっと代々受け継いで来た秘伝の味なのだろうと思いきや、「食材を扱うようになったのは2003年からなのです」と社長の神谷修さんから驚きの答えが……。三河屋は屋号の通り、元禄年間に三河国(現在の愛知県)から江戸に移り、酒屋を営んだのが始まり。その後、油屋、糸屋と業態を替え、神谷さんのご両親の頃までは和装小物を扱っていたそうです。
「私は店を継ぐ気は全くなくて、同じ銀座にある資生堂に勤めていました。というのも、私の両親は商売が忙しくて運動会も参観日も一度も見に来ることができなかった。それが寂しくてね。子どもに同じ思いをさせたくないと、サラリーマンになったのです」
その心境が変わったのは、和装小物の店が立ち行かなくなったのを目にしたときでした。「歴史ある店を自分が潰していいのか、と。そこで思いついたのが、老舗として歩んできた江戸の文化を『食』で伝えることでした」
江戸時代は砂糖や油が大変高価だったため使えず、肉類も食べません。冷蔵庫もなく保存ができないため旬の素材、味を大切にし、おいしく栄養価の高いものを食べていました。これこそ現代が求める長寿食だと考えたのです。「どんな商品を作ろうかと文献を当たっていくうちに見つけたのが『煎酒』です。これを復活させようと動き出したところ、縁あって江戸料理の第一人者・福田浩さんと出会い、一緒に試行錯誤しながら煎酒を作り上げました」
現代によみがえった煎酒を早速口にすると、梅の酸味とかつお節のうま味が広がります。しょうゆは何でもしょうゆ味になりますが、煎酒は素材の味を生かしながら、薄味でもない。まさにいい塩梅!「しょうゆよりも塩分が少ないから体にも優しいです。刺し身に使ったり、ドレッシングにしたりとさまざまな料理に合いますが、私のイチオシは卵かけご飯ですね」
神谷さんが食にこだわったのには、もう一つ理由があります。「今は個食の時代になり、親子が一緒に食卓を囲むというコミュニケーションが減りました。家族そろっての食卓は会話が弾み、食への興味が湧き、まさに『家庭の味』が生まれます。江戸のスローフードを広めることで、現代失われつつある家族の『食スタイル』を変えていきたいのです」神谷さんの情熱でよみがえった煎酒。今夜は、家族そろっていただくことにしよう。
1.〈卵かけご飯〉炊きたてのご飯に卵を混ぜ、半熟になったら煎酒をかける。わさびや海苔を添えても◎。2.〈トマトの煎酒かけ〉冷やしたトマトをお好みの大きさに切り、ドレッシングの代わりに煎酒をかけるだけ。3.〈カルパッチョ〉白身魚やホタテにオリーブ油と煎酒を同じ割合で混ぜかける。お好みで黒こしょうやクコの実を。4.〈ローストビーフ〉洋食にも合います。特にローストビーフとは相性抜群!西洋わさびと一緒にどうぞ。